令和元年度 大川家具職人塾
2019年5月~2020年3月
大川家具職人塾の教材としての家具は和風家具を中心に一部はヨーロッパデザインの源流から学ぶという観点から英国ウィンザーチェアを取り入れています。それは講師の依頼を受け、塾生に技術を指導するにあたり、教材として日本の家具を見渡してみますと周りに日本の独特な引く式の鉋や鋸、ノミを使って作られた家具がほとんど見当たらないのです。第二次世界大戦における太平洋戦争敗戦後、戦後復興を遂げるにともないヨーロッパに追いつけ追い越せの気風が強くなり、アメリカの工業デザインとイタリアのプラスチック家具の影響のあと北欧の木製家具の輸入と機械や道具、金具の自由化にともない急速に洋風化して行くなかで、現在では家具生産に鉋やノミを一切使わない、使うのは恥ずかしいほどになっていると言うのが現実となっています。戦後一時期「西欧かぶれ」という言葉が使われた次期がありました。しかしいつのまにかその言葉が使われなくなってしまいました。なるほどすべてがヨーロッパナイズしてしまえばそんな言葉は必要なくなったのです。戦後70年を過ぎて振り返ってみますと本当に日本のことを知っている日本人が少なくなってしまい、今では外国人の方が日本に詳しいことに驚かされることが多くなりました。ヨーロッパでは明治のころまでの日本人の正直勇敢な姿は今でも語り継がれています。幸い、職人塾では日本の鉋やノミ、鋸を使うことを学ぶことになりました。それは日本人の心を取り戻すということでもあります。家具産地大川の伝統ある古保地区にあって、令和元年10月には第70回大川木工まつりにおいて職人塾の作品を一般公開することになりました。令和の和を和風の和と読み替えることができるとすれば、和風を取り戻す元年ととらえられなくもないとかってに解釈しております・・・・・
令和元年9月 FDY家具デザイン研究所主宰:山永耕平"
第70回大川木工祭りに出展しました。
10月12日(土)、13日(日)、14日(月)
〒831-0016福岡県大川市大字酒見早馬221-6


第19回
<10月5日(土)
第20回
<10月6日(日)







第17回
<9月28日(土)
第18回
<9月29日(日)








第15回
<9月14日(土)
第16回
<9月15日(日)




第13回
<8月24日(土)
第14回
<8月25日(日)







第11回
8月10日(土)
第12回
8月11日(日)














第9回
7月27日(土)font>
第10回
7月28日(日)font>
第7回
7月13日(土)font>
A班:マイ木槌の制作完成
午後:教材コシカケ制作始め
手押鉋、自動鉋
B班:アームチェア、テーブルの制作
テーブル1300完成、テーブル1500木取り開始font>
アームチェア部品加工
第8回
7月14日(日)
A班:コシカケ横切り盤にて長さきめ、その後墨付け
B班:アームチェア部品加工
ロッキングチェア木取り開始



















第5回
6月22日(土)
始めにラオスから研修生を迎え、工場見学と旋盤加工の実例な
らびに曲げ加工の説明などを行いました。div>
組み立て前アームチェア全部品
7月5日完成
A班:ホゾとホゾ穴あけの練習
B班:テーブルの組み立て準備、アームチェア仕上げ鉋がけ
第6回
6月23日(日)font>
A班:ホゾとホゾ穴あけの練習後、マイ木槌の制作
B班:テーブルの組み立て、アームチェア仕上げ鉋がけ、ベルト
サンダーによるアームの成形加工

ラオスから研修生達

旋盤の見学

曲げ用帯鉄と曲げ型

模型による検討

アームチェア部品








テーブル組み立て準備





テーブルトップ面取り加工




木槌の制作








アームチェア背板の成形加工



FDY家具デザイン研究所にてアームチェア欅の制作、そのプロセスを参考のためにアップしました。

背板(カラー)とアームと後脚の接合部のジョイント部分ディテール

後台輪と後脚と側台輪のジョイント部分ディテール

前台輪と前脚と側台輪のジョイント部分ディテール

アームの腕あて部分


アームの下部の曲面、丸ノミにて削ったあとを外丸鉋で仕上げる

アーム下部曲面削り






組み立て開始










シート裏落とし留め


第3回
<6月8日(土)
2020年年頭にあたり戦後日本のデザインを振り返る
Yahoo!ブログサービス終了にともないSeesaaブログに移行しました。まだ更新方法などにとまどっておりますが以後宜しくお願いいたします。
第4回
<6月9日(日)

A班:引き続き鉋がけの練習からホゾとホゾ穴あけの練習
B班:テーブル、アームチェアの木取りと部品加工、鉋がけ

アームチェア部品




鉋がけ練習とホゾ穴あけ練習







テーブル、アームチェア鉋がけと部品加工




第1回
5月25日(土)
9:30~令和元年度入塾式
場所:大川商工会議所
古保地区職人塾工房へ移動
10:00~
新人3名とベテラン組3名のA,BNO2班にわけ、
A班は鉋のかけ方B班は作業台1台の製作
第2回
5月26日(日)
10:00~
A班:
鉋がけ練習
B班:
引き続き作業台制作








2018年4月
江戸時代の風情が残る藩境、古保・榎津街並み通りに移転しました

〒831-0016福岡県大川市大字酒見早馬221-6
TEL:0944-86-2171
FAX:0944-88-1144

2018年度作

2017年度作

2017年度作

2017年度作

2017年度作

2016年度作

2015年度作

日本のデザイン運動は大正デモクラシーに始まると言われています。太平洋大戦前ころまでは東京高等工芸(現千葉大学)に図案化が置かれ豊口克平など工芸指導所を中心に日本のデザイン活動が始まります。大戦後には同じく卒業生の剣持勇などの指導で全国に波及していきました。デザインと言う概念が定着するのは戦後になって学制改革で大学に昇格するなど全国に美術系大学が開設されてからのことでデザインとはなにか?教える方にも教わる方にも未知な時代があったのです。工芸試験場の指導で戦前からの受け継がれた一方で急速な戦後の経済復興に追いついていくには必然的に西欧の受け売りになるしかなくなって行きます。戦前の高等工芸学校などわずかにデザインにかかわった人達によって人材が育成されるようになったのでした。戦後間もない頃に多くの高等学校が大学に昇格したり併設されていきましたが、実業高校は取り残されほとんどそのまま戦後の実業高校として多くの技術者を排出して行き、後に団塊世代の学卒者をささえることになったのでした。昭和40年ころまでの高度成長期を支えていたのは大学卒のデザイナーよりも彼らを支えた職人であり、実業高校あがりの技術者達でした。プロ野球に例えると戦後間もないころの解説者はプロ野球の経験のない評論家でしたが、野球選手が引退後解説者になる時代になると評論家の影が薄くなって行った時期がありました。芸術の分野でも同じように評論家が活躍した時期がありましたがそれらはほとんどアメリカやヨーロッパの紹介でした。はたしてデザインはどうであったのか、家具インテリアデザインの分野では少し異なっていましたが同様なことが言えるのではないかと振り返って思うのです。本来、工業デザインなど自動車等機械生産の分野では工学技術の経験なしにデザイナーはありえませんでした。ハンドメードなど職人を必要とした家具の分野にかぎったことになりますが、私の知るかぎり職人がデザイナーになることはなかった。私がデザイナーを育てる側になって卒業生を世間に送り出すころの学生は団塊の世代でした。卒業後、彼らを支えたのははるかに年上の職人たちであり実業高校上がりの先輩たちでありました。職人がデザイナーとなることのないまま後に育ったデザイナーが活躍する時代となった結果が現代なのです。極端な言い方になるかもしれませんが、デザイナーは育ったが未だに野球で言うところのプレーヤーは育たず、評論家的存在のデザイナーが活躍している時代と言うことになるのです。
今では忘れ去られた過去のことですが、戦後日本のデザインは外国西洋の物真似でしかありませんでした。かのナショナル電気でさえ、物真似企業のレッテルを貼られていた時代があったのです。そこで考えられたのがデザイナーを育てて外国にまけないものを作る。当時の職人の技量では間に合わない。今振り返ってみて思うのは物真似をなくしていかに早く西欧に負けないデザイナーを育てるか!に教育がささげられたと考えられなくもないのです。つい最近まで揶揄していた中国と同じ、いやそれ以上のことを当時していたかもしれないのです。日本独自のデザインは古臭いものとして捨て去り、(たしかに日本独自のたたき上げる職人教育では間に合わなかった)西欧デザインをインターナショナルスタイルとして学び欧風化することに費やされ、おかげで今では国際的に評価されたデザイナーの国となれたのです。しかし同じような道をたどる中国に追い越されかねないし、アジアの後進国が同じ道をたどっているというのが現実なのです。第二次世界大戦後、ヨーロッパでも同じような道たどっていたのですが、日本がデザインの目標にしてきた北欧諸国は余力がある時期に自国の将来を見据えたデザインの国福祉国家をめざしたのではないでしょうか!戦後経済大国を作り上げた当時の職人や技術者が定年を迎え長寿国となったのは良いにしてもその成果が報いられることなく老後の不安をかかえていると言われる日本はどうしようとしているのか?
大川家具職人塾も5年が経ち、年頭にあたり皆さんには職人として技術を深めるだけではなく‘作って考え考えて作る’をモットーに、途絶えた過去の和風家具から‘和風モダンの家具’へ飛躍させることのできるようなデザイナー(マイスター)を目指して頑張っていただくことを期待しております。
令和2年1月 これは私の個人的見解であります!
参考文献:豊口克平「刑而工房から」美術出版社1989年
社団法人日本インテリアデザイナー協会「日本の生活デザイン」株式会社建築資料研究社1999年
12月2日よりインスタグラムを始めました。
職人塾過去作品制作プロセス記録
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