マイオピニオン 「北部九州豪雨災害に思う」
北部九州を襲った豪雨による被害は想像に絶するものがある。
本来、大雨による洪水であれば家が流されたり、主に水による被害のはずであるが、今回、新聞やテレビで報道される映像を見ていると流木の量に驚かされた。上流の山崩れによるものであることはいたる所に見かけられる山崩れの跡がそれを示している。その山崩れにより流されてきたおそらく杉や檜材と思われる材木の太さに驚かされたのも今回の特徴ではなかろうか?ひところの水害による木材の量と太さの違いが、映像だけでは断言できないにしてもあきらかに違っている。思い出されるのは20年ほど前になるが、杉などの針葉樹の植林地が問題になっていたことがあった。針葉樹は根が浅く大雨などに弱いと言われていた。早急に広葉樹林に変えなければ危険が増すと言われていたことを思い出す。幾度かそれらしき災害を経験はしながらも幸い今日まで、そうたいしたことは起こってはなかった。しかし専門家の中では注意がうながされていたはずであるが、今回やっぱりか?と思わざるを得ない巨木と化した杉などの流木はそれと同時に運ばれた土砂の量にも驚かされた。たいていの洪水は水が引けばどろをはげばなんとかなるようなものであるが、今回の現状からするととんでもない量となっている。今までに誰も経験をしたことのないものである。専門家でさえお手上げ状態ではなかろうか?戦後間もない頃、国を挙げて植林に取り組んだと言われている。戦後焼野が原と化した街を復興させるために成長の速い杉や檜などの針葉樹を全国いたるところに植林をしたと言われている。それはおそらく住宅資材を目的としたものであった。しかし現実は野放しの状態と化してしまった。それは外材への依存によるものであった。外材に頼るしかない北欧の家具が流行することによって、その形だけではなくよその国の材木を使うことまでもが真似されるようになってしまった。その結果、南洋諸国の木材を切りつくし輸出禁止されるまでにしてしまった。一方で自国の木材は放置されるといった身勝手な考え方のツケが今回の流木による災害へと繋がったと考えるのは私の個人的見解でしかないのであろうか?私は最近富に感じるようになったのは、戦後アメリカの庇護のもとで奇跡的復興をとげることができたが、それは経済的豊かさを求めたものであって、そのためになおざりにされてきたことがいかに多かったか?戦後70年にして思い知らされることがなんと多いことか!山林の放置一つとってみても災害復興など急を要することにはその対応力はついたとしても長期を要するものには一切と言って良いほど無政策というのが今の日本の実態ではないのか?政治家が自分の身の回りのことにしか目を向けなくなってしまった。国家百年の計を語ると言うと現実的でないと笑われてしまうような現実。そろそろ本当の意味での長期的な戦略を持った復興が必要ではないか?そういう意味で言うならば今からが本当の戦後日本の復興と言えるのではないだろうか!
2017.07.14 こうへいのひとりごとより
追記:
多少専門的なことになるので、これはあくまで私個人の想像をはみでることがないことをお断りしておくが、杉は昔、日本のいたるところに見られた一本杉のようにお互いに間隔を置いて植えられれば2.30年で20セン30センチにまで成長する。70年もすれば元口70センチの杉に成長しているはずである。京都の北山杉に見られるように床柱に適した柱にするにはある程度密集させて成長させる必要がある。おそらくそれを見本に今日のような杉林が造成されたと考えられる。したがって、20年、30年で建築材として利用されることを前提にしていたのではないか?少なくとも50年の内に植え換えられておかなければならないことになる。しかし戦後70年がたち放置されたままの杉が成長しすぎてしまっているのではないか?本来70センチ以上になっているはずの杉が元口30,40センチの径に抑えられている上に大量に植えられているために自重がかさなり、水分を含んだ土が耐えられなくなるという二重のことがらによることが想定される。
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