広告過剰な日本の景観

「戦後70年に思う」を書いたあと、戦後を思い出すことが多くなった。デザインのことで特に覚えているのは、戦後間もないおそらく昭和30年代のこと、西鉄大牟田線のたしか大宰府近辺だったと思うが、田んぼの中に大きな広告を出すということで、当時の地方紙の話題になったことがあった。景観を崩すというので、問題になったのであった。当時田んぼの中に広告塔を建てることに反対があったことを記憶する人がどれほどいるだろうか?今では当たり前になっている広告塔、我も我もと目立ちたがる企業が広告塔を出す、「今では当たり前のことが当時、当たり前ではなかった」ことを物語る最初の出来事であったように記憶しているが、記憶違いでしょうと言われかねないほど、現実には広告大国になってしまっている。昔は御上からのお達しは絶対的で個人が抑制されていた。そのため戦後自由となった大衆の欲求がほとばしり出るきっかけでもあったのではないだろうか?戦後民主主義が受け入れられて行く一つの事件であった。しかし前にも書いたように個人の自由が主張できるようになったのは良いが、自由の裏にある責任というものがおろそかにされたまま、個人主義が利己主義へと変質するなかで、広告が爆発的に普及して行った結果が今の日本の広告だらけの街並み形成へと進展していったのではないかと私は考えているが、美しかった昔の日本の田園風景を覚えているがゆえに、たった一つの事件を見過ごすことが今日の日本の風景を変えるきっかけになったことの一例として紹介しておきたい。そんな小さなことに目くじら立てなくたってエエジャナイカ!エエジャナイカ!お祭り好きな博多っ子のかけ声に打ち消されていった事例と言えば博多の人にしかられるかも、しかしこれが全国に広がっていって広告塔大国になってしまったのだったとしたら?そんなことあるはずがありませんよね・・・・・。
2015.06.08
こうへいのひとりごと

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