職人道

以前、ブログに職人という言葉が軽はずみに扱われていませんか?ということを書いたことがあった。以下中略、確かにその美を作り出していた張本人の職人は無学、無知に思われていた時代がありました。本当にそうだったのか?職人になりきって家具を作り続けてこの齢(72歳)になって思うことは職人はたとえ無学だったとしても現実の体験、木から、道具から学ぶことができたし、むしろ健康な考えと主張を持てたということです。職人の血のにじむような修練は評論家のいうようなユートピアでは決してありませんが、その間、学識をはるかに超える人としての規範を備えることができていたのではないか?職人はただ作るだけではありません。人として成長する道でもありました。と書いた。ちかごろ職人、職人といわれるようになったが、どれほどの人が職人のことを知っていると言えるのだろうか?昔の過酷な職人の世界を知っているものにとっては、現代日本人の軽はずみな言動に驚かされるのだ。和食を知らない日本の家庭が増え、味噌汁を作らなくなった家庭料理と同じように、日本の道具を使わない大工や木工家が増えている。技術を習得するだけ、木を加工するだけであれば便利な道具の方が良い。便利な道具であれば西欧の道具の方が優れている。しかし日本の道具は使えるようになるには時間がかかるが、木を加工することで木と対話することができるのだ。道具を使うことは道具を通して木から学ぶことでもある。それはいわば柔道や剣道と同じ道、すなわち職人道ということができるのではないだろうか!
2015.06.05 こうへいのひとりごと 

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