戦後70年に思う

戦後70年、日本人は本当に戦争を反省しているのだろうか?したのだろうか?終戦時私は3才であった。当時、朝鮮、現韓国から引き揚げた経験がある。3才であってもはっきり覚えているのは米軍(国連軍)が自宅まで来て、ジープに乗せられ、荷物が膝の上に乗っかってきて痛い思いをしたこととか、貨物列車に大勢積み込まれて港(たぶんプサン)まで向かったことや、夜は危険だということで貨物船に移って寝泊まりしていたのを思い出す。貨物船の船底で、荷物の間に片方の靴を落としてしまったことや、波止場の仮説の避難所で配られたおにぎりのおいしかったことを覚えている。あとは断片的だが船の上からトイレをしたこと、真下に大きな魚が群れていたことなどだ。しかし博多から、大分の山奥の親の里までのことは全く記憶にないということは本国に到着後、家族皆ほっと安心して子供ながらに緊張から解放されたがためかもしれない。私の記憶では米軍に親切にしてもらったことしか記憶にないが、満州や北朝鮮から引き揚げてこられた人たちの話を耳にするたびに自分たち家族6人比較的に安全に帰国できたのが不思議なほどである。我々家族が米軍(国連軍)の保護のもとで引き揚げることができたように、戦後おどろくほど進駐軍の統治のもと安全に暮らせたのはアメリカ軍のおかげであったというのは私の真なる感想である。しかし最近になって思うのはそれがために、日本人は戦争の本当の意味での反省を置きっぱなしにしてしまったのではないだろうか?ということだ。本来、侵略をした相手国に戦後占領されていたらどうなっていたのか?当時日本人のほとんどが、敗戦後どんなめに合されるかしれないということで戦々恐々としていたことを忘れてしまっていないだろうか?敗戦後の報復なしに代わって戦後処理をしてくれた進駐軍(主にアメリカ軍)に感謝するのは当たり前のことだが、だからと言ってアメリカにすり寄って、近隣諸国に疑心暗鬼をまねくようなことは避けるべきではないだろうか?せっかく戦後平和主義の先方として歩んできた日本の信用を返上してしまいかねない現状を憂うのは私だけではないはず。戦前戦後と日本人の旨としてきたつつましやかな生活スタイルから解放されて豊かさを享受することができるようになれたのは良いが、ますますマネーゲームに加担していく方向を選択しているようである。いつまで拝金主義のアメリカに追従すれば良いのか、それに反して質素節約をとなえれば戦前の軍国主義にもどるのか!としかられそうだ。私の世代昭和17年代の人ならば記憶にあるはずだが、戦後民主主義の考えが教育に反映された最初の世代ではないだろうか?先生達が民主主義についてしきりに学んでいる姿を子供ながらに記憶している。個人主義と利己主義の違いを徹底して教えられたことを思い出す。先生方も真剣であった。しかしいつのまにか、たしか南北朝鮮戦争1951年(昭和26年)を境にして変わっていったように思う。私が中学のころにはそんなことよりも進学の方が優先される時代へと変質してしまっていた。良い高校、良い大学に入ることが優先され、民主主義の根幹である個人主義的考えが私の大学入学の頃には立身出世主義と利己主義にすり替えられてしまって行くのを傍観するしかなくなってしまっていた。極端な言い方かもしれないが、本来学卒とは民を救うためには沈みゆく船に残るようなエリートを育てるところであったが、戦後は我先に逃げ出すような学卒を生み出す物へと変質していったと言えば分かり易いかもしれない。戦前のお国のためには命を惜しまない厳しい教育を受けた親たちの反省から戦後命を大切にする教育に甘やかされ、個人主義が反対の利己主義へと歪曲されて行くいわゆる団塊の世代、その団塊の世代にこんなことを言うのは申し訳ないが、彼らが大学に進学する頃、昭和60年代の大学紛争が安保闘争から学生紛争へと向かうのは必然であったかもしれない。民主主義の根幹にかかわる問題が右か左か、保守か革新かで教育の本質が問われることなく政争の具にされてしまったツケが今日の教育現場に大きくのしかかっていることに気づくものがどれほどいるだろうか?問題の結論を得ることなしに対立のまま先送りするやり方は政治の世界にかぎったことではない。戦後日本の得意とする方法として定着していったのだ。これは台風や震災がすべて洗い流してしまう日本の持つ独特な風土から来たものかもしれない、行き着くところまで行き着くまで先送りできるいわば日本人の巧妙な手腕となっている。
最近、戦争の記憶がある80代以上の方が今になって、戦争をしてはいけないと言う若者に対するメッセージなるものを目耳にする機会が多くなった。私自身齢をとると最近になって学生時代など若き頃を鮮明に思い出すが、戦争の記憶のある80代以上の人たちの気持ちが良くわかる気がする。しかしそれこそ本当に戦争を反省していなかったからではないのか?酷なことを言うようで申し訳ないが、当時90パーセントの日本人が日本の勝利を夢見て戦争追行していたのではなかったのか?国民玉砕の覚悟で戦っていたではないか?時代が経って戦争が悲惨なことは写真や映像でいくらでも伝えることができるようになったのは良いが、戦争は悲惨だからやってはいけないではかたずかない問題があるのではないだろうか?戦争がいけないことはその当時のあなたたちよりは今の若者の方がはるかにわかっているはず。そういうことより戦争に加担してきたそんなばかなことをしてしまった自分達のことを二度と繰り返してはならないことを、原爆を投下されるまで戦争をあきらめきれなかった自分たちのことをもっと反省すべきではないか?反対に侵略された多くの人ちが、悲しいうめきのなかにあえいでいたのではないか?今になって反省していますと言ったところで、その人達が許すと思っているのだろうか?今また、戦前の様相に似てきているとをこぼす老人が増えていることをどう思えば良いのだろうか?だからこそ国民を代表する総理大臣の反省の言葉が大事ではないかと思うのだが?近隣諸国に迷惑をかけたことを忘れてはならないし、日本人として心から反省しなければ、アメリカ追従に拍車がかかり、ますますアメリカ頼りに傾いていくのではないか?戦争は防衛論から発展していくという法則を忘れてしまっているのでは?明治日本の産業革命遺産が世界遺産に登録されるという報道にインタビュウイーの方がおっしゃっていた「生活の糧を得るための場所でもあった」という、この機会に過酷な労働条件の中でも勤勉に働いていた当時の労働者の姿を思い浮かべるモニュメントにしてはいかがなものか?戦争のない200年の江戸時代を経験し、唯一の被爆国として戦後70年平和憲法のもとで過ごしてきた国家として世界に貢献できる道をさぐるのが本当の日本が目指すべきところではなかろうか?アメリカ追従よりも、今こそ核廃絶を唱え、絶対に戦争をしない国として世界をリードする国であるべく宣言しておく必要があったのではないか?安保法制法案、積極的平和主義を掲げるのは良いが、複雑化する国際情勢の中、戦後を振り返ってみると現代日本人の根底自体が貧弱であることに今更ながら驚かされるのだ。これではいつ戦争に巻き込まれるかもしれない現状にあるのに、エエジャナイカ!エエジャナイカ!同じ過ちを繰り返すことはないかもしれないが、お祭り好きな日本人の本性が戦後という箍が外れて浮かれ過ぎてはいないか?心配するのは老人のいたらぬ取越し苦労であって欲しいものだ。
2015.05.22
こうへいのひとりごと

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