「民芸とは」の新聞記事に思う

職人と民芸とは切り離せないものであるので少し紹介しておきたい
4月12日(日)の朝日新聞朝刊「民芸とは」
大衆の日常に用いられる、多く作られ、安い、作者の行為が込められていない、手工芸である、無名であることとある。また民芸の精神は、デザインの世界に影響を与えたとある。
私がデザインこそ民芸でなければならないと考えるようになったのは学生時代(昭和38年~43年)にウイリアム・モリスのアーツ&クラフツに傾倒したことに始まる。当時デザインはアメリカやイタリアの雑誌などで新しいデザインを知ることはできたが、デザインとは何かと考えた時に最初に出会ったのが水尾比呂志の「民芸の美」であった。その頃は「機能主義デザイン」の真っただ中の時代、ドイツのバウハウスの理論と思想が主流の中、私は日本の美の中にそれを見出そうとしていた。世間では私のそんな悩みとは関係なく奇抜で目新しいデザインがぞくぞくと雑誌などを通して発表されていた。その間、家具製造の中にも大量生産が普及して行き、昔からの伝統である職人による生産システムから大量生産ラインへと進んで行くのをただ傍観するしかなかった。そこで問題になるのは今日の家具などプロダクト(製品)の工業化(機械化)である。もし大量生産品と民芸がつながるとするならば、最近の安す売り家具だって結構丈夫で庶民に喜ばれるものであれば民芸ということになるが?たしかに民芸と言われるものは安もので粗末に扱われ、その中で長く使われるものだけが残っていった。だからそこにデザインの本質をみることができるのだ。では、大量生産品であっても長く愛用されれば民芸品とみなされるのだろうか?高価なザイナーズブランドとは一線を画すことになるが、どちらにも共通するのは職人の手が加わらないということである。(デザイナーズブランドなど工業生産の家具でも職人が手掛けているように宣伝されているものがあるが、実は人は機械に材料を運んで、出来上がった部品を組み立てて仕上げるだけである。)つまり、大量生産品と民芸品と言われるものの違いは民、つまり人、職人がかかわっているかいないかということになる。機械によって作られたものか、職人が作ったものかの違いであり、工業デザインと民芸は本質的に異なるものと考えられる。だが、はたしてそう解釈で事足りんであろうか?そうではなく私の学んだ範囲で考える民芸ではあるが、ウィンザーチェアの形態にデザインの本質が見て取れるように民芸といわれるものの中にデザインの本質的なものがあって、けっして異質なものではなかったはず。戦後、外国のデザインが我が国に取り入れられた時点で、分離されてしまったところに問題が潜んでいるのではないか?現代の日本のデザインは戦後外国から移入された新しい思想として歓迎され、民芸や日本の伝統的なものは古いものであるという考えが定着するなかで、アメリカやイタリアの物真似から始まったというのが現実であった。そのためにその反対物のクリエート、つまり創造性や新奇性とか恰好の良さにデザインが向けられて日本の土着の思想、つまり民芸の思想とかが分離されたまま今日にいたっていると考えられる。整理すると民芸と工業デザインは異質なものであるが、民芸は日本のデザインの本質的なものであり、デザインに受け継がれるべきものであったと考えるべきではなかったのか?この考えはイギリスのウィンザーチェアを研究する中で、一層高まってきた考えであった。ウィンザーチェアの中ではアーツ&クラフツの思想と民芸の思想が結びつくのである。ヨーロッパではウィンザーチェアを手本として北欧の家具が生まれたが、そのデザインがウィンザーチェアを飛び越えて、日本に移入されたがためにそれが結びつかなかったと考えられないだろうか?デザインが外国から移入され、特別なものとして迎えられて戦後70年が経ち、デザインの概念が一般化し、定着する中で、もはや民芸はデザインの一分野として大衆の中へ溶け込みつつあるのではないだろうか?民芸の思想は工業化とハイテクな機械による大量生産の結果、生産の現場から職人の姿がみられなくなってしまったために人間味が薄らいで行く現代デザインに人間味豊かなもの、つまり手工芸のすばらしさを再認識させる役割りをになっているはずである。民芸館という特別な場所に御所大事に保管するのも大切だが、日本の現代の民衆のためのデザインとしてもっと公にすべきではないか?こんなこというと民芸の大家から生意気にと言われそうだが、民芸が民衆から離れて学識高い教養人にしかわからないものになってしまったことで逆に民衆からかけ離れた存在となってしまいかねないという意見を聞くが、確かに民芸の美、すなわちデザインの美は下手物しか作ったことのないものや、使ったことのないものには、つまり民衆には難してくわからなかった時代もあっただろう、そこにある美に目を向けた宗悦には高い教養と洞察力があったからだ。私にはそんな高い学識があるわけがないが英国の人間味豊かなウィンザーチェアを実際に作り、現代に蘇らせるプロセスで当時の職人の立場を経験した者の感想ととらえていただければ幸いである。新聞記事には民芸の思想はデザインに影響を与えたとあるが、現在の日本のデザインの歴史はヨーロッパの歴史をたどるしかないし、デザイン論にいたっては未だにバウハウスの借り物と言われてしかたがないかもしれない。純粋にデザインの立場で考えて、そろそろ日本独自の伝統と民芸の思想を取り入れたデザインが語られても良いのではないかと思うがいかがなものだろうか?

私が若いころ打ちのめされた宗悦の言葉
”見て知りそ 知りてな見そ”
こうへいのひとりごと 2015.04.14

おことわり:
デザインが民芸でなければならないというのは極端な言い方で、民衆の芸術でなければならないという意味です。
2015.04.17追記

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