鉋の話  11.完 鉋の推す式から引く式への転換について そのⅢ

 ここまで台鉋の推す式から引く式へ移行する過程を述べて来た。簡単に言えば,突鉋の時代,次にその両翅がとれて引く式の側面を持つ過渡期的推ガンナの時期、そして引き鉋の時代,最後に完成期という過程である。
最初,一足飛びに推す式から引く式へ転換したのではないかと言うことも考えてみた。左手で台頭を推して右手で台の中央部を押えて前方から後方まで削って行く過渡期的姿勢も考えられるが最初の鉋が突鉋という推し式であった以上,簡単にそのきき腕の位置を変えることは,およそ不可能なことに思えた。鎚(ヤリガンナ)の使い方を変えるのと同じぐらいに困難なことであったにちがいないからである。ましてや今日の引く式への転換の説明の根拠を失いかねない。推す式と引く式の間に,中間的過渡期的姿勢が存在してもおかしくないし、むしろそのことなしに引く式に転換することは不可能に思えたのである。第一の突鉋から過渡期的推鉋への移行の段階では,社会的背景と共に,日本の大工のおおむね座式という狭い行動範囲が決定的役割をはたした。(注3)これについては永年の鐁でつちかわれた習慣をイメージ 2ぬきにしては考えられない。突鉋の段階から,その持手を変えて一足飛びに現在のような引く式への転換はこの習慣の上からも,およそ不可能であったと考えられる。部材の右側に座って.手前向こうから(左図参照)後方へ向ってスルスルと削って行く作業姿勢は,そのまま台鉋に受けつがれたのではないだろうか。過渡期的姿勢は半ば推す式であり,半ば引く式というある意味では不安定であったが,当時としては作業能率の面で,大きな飛躍であったであろう。今日の引く式の鉋からすれば遠廻りであったが,通らねばならない廻り道であった。その中間的,過渡期的時期があったればこそ今日の引く式への転換が可能になったのではないかと考えられる。私の仮定するこの過渡期的姿勢の時期にあって,台鉋のおおよその形態はでき上っていたにちがいない。刃物の精度及び仕込み勾配,刃口及びこっぱ返えし,荒しこ,中しこ,上しこの段階,そして最後に仕上げの段階で鉋の使い方の姿勢が問題となって残ったのである。そして引く式への完全な転換は台鉋にかける人間の「力の作用」にこそその謎を解く鍵が秘められていた。人は今日の引く式の台鉋を使用している姿を一見すると、力いっぱい引いて削っているように見える。もちろんその点で日本の台鉋は引く式と言われるが、そこには鉋と人間の間に外からは見えない合理的な力学が成り立っている。そこには昔の職人が経験した血と汗のにじむ労働の中でつかんだ変遷の歴史がきざまれていたのである。
 私は以前、学生達に鉋の使い方を指導する際に「台頭を左手でうんと押えて手前に推せ」と言っていた。実は推すも引くも鉋自身にとって見れば,頭から尻に向って推されることなのである。初心者は手前に引くだけで削れると思うために,きき腕の右手に、つまり引くことに頼り過ぎるのである。鉋の刃を部材にくい込ませる力は台頭を押えイメージ 1る左手にあることに気が付かない。右手は勿論引くためもあるが,その主力は押えるためにある。台鉋と部材を密着させて高度な平面を得るためにあるのである。(左図参照)もしも引張るだけであるならば,西洋の押し式の鉋(※西欧の鉋の押すと日本の鉋の推すの間には微妙な違いがある。)のように台頭に取っ手を付けて,右手で押した方が鉋の機能の面から見てもはるかに合理的である。西洋の鉋は人間のカに多く頼る道具として完成されたものである。そのために人間の手にあわせた取っ手が付いているのである。
 日本の引く式の台鉋は,その過渡期においては推す式と同じ理屈の時代を通ったが、ある意味では不安定であったが故に,台の中央部を押える力が,より高度な平面を作り出す上で重要であることを発見できたのである。左手で台頭を押えて手前にかき込み,右手で台の中央部をしっかりと押えつけ手前に引く,つまり左手の合力と右手の合力の組合わせによって人間と鉋の間に合理的力学関係を作り出し得たのであった。それ故に,日本の台鉋はなんの取っ手も飾りも付いていない堅木を直すぐ削っただけで,その台表に微妙な凹みが付けてあるだけの姿を留めているのである。
 今日,日本の台鉋が何故引く式なのかについていろいろの原因が考えられると思うが,どのようにしてそうなったかと言う過程の説明が付かないために謎とされている。私は鉋という道具を使って実際に作る立場からの自分の経験と追体験を通して,以上の如く台鉋の転換の過程を考察してみた。

            注 訳
 注1 東京大学生産技術研究所教授,村松貞次郎氏は三芳野天神縁超の大工の台飽使用囲について,「‥…・カンナをかけている姿勢が一見推しているように見えるのはどういうことであろうか。左利きかも知れないし,あるいは中国式の推す式のカンナの使用法が,まだ残っていたのではないかということも考えられる。と指摘されている。…
…「絵図大工百態」新建築社

 注2 同上村松貞次郎氏は「鐁は手斧ではつった波の頭のように突出しているところがないとかかりにくい。オガで挽いたつるっとした面では引っかからない。台鉋は逆に,チョウナのごつごつした面では,その台が邪度になってかからない。大鋸と台鉋,手斧と鐁、それぞれに密接な対応関俵を持っている。と述べられている‥…・「大工道具の歴史」岩波書店

 注3 西日本工業大学助教授,中村雄三氏は「この(つきがんな)は,日本の大工がおおむね座式であったところに,鋸などと同様に,早くから今日のごとき「引き式」の鉋に変化したのではないかと推考する。あるいは,まだ材表面に精彩を加えるためと鉋刃の鉄品質にも無閲孫ではなかったであろう。と述べられている。……「建築もののはじめ考」新建築社

参考文献
1)大 河 直  「桂と日光」日本の美術20 平凡社
2)   同    「番匠」          法政大学出版局
3)太田博太郎「日本建築史序説」          彰国社
4)大阪建設業協会「建築もののはじめ考」  新建築社
5)岡 村 一 郎  「川越の城下町」  川越地方研究会
6)内      「江戸と江戸城」          鹿島出
7           「戦国の大工達」月刊「室内」128~180
8)中村雄三   「図説日本木工具史」       新生社
9)西  和夫   「江戸建築と本途帳」     鹿島出版会
10)村松貞次郎「大工道具の度史」       岩波新書
11)  同  「絵図大工百態」         新建築社
12吉田光邦  「日本の職人像」  河原書店
図中、三芳野天神縁起の台鉋使用図の写真は昭和49年の頃だったと思うが、その実物を求めて埼玉県の県立博物館を訪ねて、当時の学芸員の方の立ち合いの上で、私が直接写真を撮らせていただいたものである。
 

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