鉋の話 10. 鉋の推す式から引く式への転換について そのⅡ

推す式から引く式への転換
14~15世紀に大鋸(縦引鋸)による製材が可能になると,その仕上方法も必然的に変化して来る。それまでの打割方式の材面を手斧ではつり鐁;(ヤリイメージ 5ガンナ、左図参照)で仕上げ・さらに上等に仕上げる場合は,木賊(トクサ)や掠の葉で磨く方法は必要でなくなって来た。仕上げという面で鐁と同じような目的と役割をはたすものとして考えられていた突抱は,あるいは鐁で仕上げたさざなみ状の痕をさらう仕上用の道具としても考えられていたかもしれない。それによって一度に幅の広い削り面を得ることができるという機能が,鐁の欠点を補う物として大鋸の普及と建築界の怪盛と共に一躍クローズアップされて来たのではないか。大鋸でわいたある程度平坦な面を仕上げるには,鐁でさざなみのような痕の残る仕上げをするより,最初から突抱の持つ幅広い刃でもって削る方が精度の高い平面を得るためにも作業能率の面でもより適していたと考えられる。(注2
 突鉋の持つ一つの欠点として,日本の大工の座式という作業姿勢で,それを使用するには削り長さが制約を受けるということが考えられる。外国のように部材を台の上に置いて削っていく場合は問題にはならないが座式の場合,突いたり推したりするやり方では自分の手元から手の届く所までの限らイメージ 1れた範囲でしか使用できない。この問題を解決するために.できるだけ自分の身体と腕の伸びる位置から削り始めて,最大限身体と腕の届く所まで削って行こうとする姿勢が考えられたにちがいない。(左図参照)つまり右手で台頭をへ推して、左手は台を安定させるためにその中央部を押え、削り始めから手元までひきよせるように推して、次に手元から先へ推して行く方法である。こうなると両翅等の付属物は邪魔になったであろう。この姿勢は先に触れた三芳野天神縁起の絵図に描かれた大工の姿勢と良く以たものになる。font>
イメージ 2 台鉋を引くということは前方から手元に向って引張ることである。その場合,体あるいは頭は切削方向に対して逆に向っている。推すとは手元から向う側へ推すことである。その場合は身体あるいは頭部は鉋の切削方向を向いているのが普通である。(左、左中図参照)先の姿勢はこの両側面を持った作業姿勢と言うことができる。しかし実際には三芳野天神縁起に描かれている絵図のごとく,向って左の大工の姿勢が手元に向って引こうとしているようだが,頭は切削方向を向いているように,(左下図参照)全体的には推そうとする姿勢になるはずである。こういうことからして引く式のイメージ 3側面を持つ推す式の作業と言えるのではないだろうか。三芳野天神に描かれているような姿勢が事実あったとするならば,これはまさしく引く式へ移行する可能性を含んだ過渡期的作業姿勢ということができる。かりに日本の大工が座式でなく立ち式の作業をしていたならば,おそらくこの時点で外国と同じ推す式の台鉋の歴史を歩んだかもしれない。この作業姿勢は西洋の推ガンナと同じ理屈なのである。ただ座式の作業姿勢から生れたある意味では,不安定な使用方法なのである。不安イメージ 4定であるが故に,いつかは引く式へ移行すべき可能性を持った使用方法であったのである。
この引く式への過渡期的作業姿勢は日本の座式の行動範囲の中では最も作業能率を高める方法であったにちがいない。この段階でもある程度今日の鉋に近い削り面は得られたであろうが,建設に建設をついだ桃山文化の隆盛の時代にあっては,より高度の削り肌を得ることよりも作業能率の方が優先されたであろう。そういう時代にあっては引く式の使用方法が芽を出す余地はさほどなかったのではないだろうか。引く式はこの過渡期的姿勢よりも作業能率の面では一歩後退であった。江戸時代に入り寛永(16241643)を過ぎ正保(16441647)慶安(16481651)の桃山文化の完成期を経ると,大きな新規の建築工事は極端に少なくなり,修理業など,よほどの大火がないかぎり仕事が取れないような時代へ移行して行くと,それまで馬車馬の如く夜を日について働かされていた大工達の仕事の内容も変って来る。芸術家的側面をも持っていた職人気質も,いつか忘れ去られ職人としての技術の面にのみ生きがいを求めるようになるのである。まずは仕上精度を高める上で一番に考えられることは刃物の切れ味であったであろう。次に刃の出をできるだけ少なくして,最高の削り面を得る工夫である。span>
 鉋は荒しこほど刃の出は大きくなる。そのため切削抵抗が強くなって.台頭を推す力がより多く必要となるが,上仕上になると刃の出を少なくして,その反面,材面に台を密着させる力が必要となって来る。過渡期的作業方法においても理屈は同じであり,荒しこ、中しこ,上しこの区別もついていたはずであるが,仕上精度を高めるにつれて左手の台の中央部を押える力が重要になって来る。右手で台頭を推すやり方は荒削りや作業能率を高める上では問題ないが,仕上精度の高いものを得るためにはなんらかの改善が必要になってくる。きき腕の右手を台の中央部に置き換えてしっかり押え,左手で台頭を推して手前に引いて来る引く式の使い方が最も適していることが発見されるのは容易なことであったであろう。※(幅の広い板とかの面に鉋をかけるにはどうしたら良いものか迷ったことがあったが、鉋を右手に持ち替えて逆の方から削る場合もあった。今でも鉋に慣れれば、右手を頭において手前に引くことは可能である。)過渡期的作業姿勢の時期においても,逆目のおこる場合や,むりな姿勢が要求される場合は,台鉋を逆に向けて,今日のような引く式の姿勢を使用する場合もあったかもしれない。あるいはすでに>高度な仕上げ面の必要な場合は,引く式で使用した方が良いということが発見されていたかもしれない。いづれにしても,この段階では引く式への転換は割合スムーズに事が運んだのではないかと想像するのである。今日の台飽と違う点は一枚刃であったことと,座式で使用されていたということだけである。font>
 今日のような立ち姿勢で作業するようになったのはいつの頃かははっきりしないが,江戸時代後期か,おそらくは明治以後西洋文化とのかかわりあいで.洋館建築等,再び日本の建築界が隆盛を取り戻すようになって,作業能率の面がクローズアップされ,座式の引く式の形態がそのまま立ち式に移行したと考えられる。この時はすでに昔の推す式のあとは,微塵も残っていなかったのである。スルスルと鉋くずが跡切れることなく.端から端まで削れる削り方は座式では不可能であり、座式から立式の作業に移行して初めて可能になったと考えられる。かくして今日の二枚刃のついた日本の大工道具を代表する台鉋が登場したのである。その完全な姿を現わすのは明治期に入ってであり、ごく最近のことなのである.font>



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