鉋の話 8. 鉋の歴史 「台鉋の出現」

平安鎌倉時代になると,より高度な仕上の必要な部材は木賊(とくさ)や椋の葉などで磨いたものがあり,木鑢(きやすり)なども発見されている。なかには台鉋によって仕上げられたとしか考えられないものも少くないということであイメージ 11る。中世において,ある程度古くから台鉋は小物材や造作材に使用されていたのではないかとも考えられているが、台鉋を使用したとはっきりわかる資料は厳島神社廻廊の棟礼で,1577年のものということである。font>
 1713年刊の「和漢三才図絵」、1830年刊の「嬉遊笑覧」などに今の世のカンナは百年ほど前に始まったと記されているということで、台鉋の出現の時期は,縦挽として我国に初めての大鋸(オガ)font>">(図参照の現われた室町時代,すなわち14世紀末から15世紀の前半よりやや遅い時期の15世紀半ばか末頃、やはり中国,朝鮮から入って来たと考えられている。font>
イメージ 4 このころの台鉋は,先の「嬉遊笑覧」,「和漢三才図絵」,また1694年刊の「和爾雅」などに「つきかんな」の和訓を与えられていることから,はじめは突鉋と呼ばれるヨーロッパ,中国,朝鮮の鉋と同じように,向こうへ押す式の台鉋であった。1761年刊の「和漢船用集」によれば,それまで突ガンナと呼んでヤリイメージ 12ガンナと区別していた突鉋もようやくこのころ鉋として一般化し始めたとあり、それには両翅がついていて,当時まだ薩摩の国では用いられていたということである。大鋸で割いた面はそれまでの打割法で製材された面よりもより滑らかである。手斧ではつり,ヤリカンナで仕上げるのには不向きであり,台鉋で仕上げる方が能率的で効果があったと考えられる。大鋸と台鉋は手斧とヤリガンナがそうであったように一体となって,木材加工の仕上げ工具としてその後急速に普及していった。font>
室町時代後期になると,応仁の乱からやがて戦国の時代へと移って行くのであるが,この時期には台鉋にはあまり変化はなく,昔ながらの手斧とヤリガンナの仕上げ法と,大鋸と台鉋の仕上げ法は並行した状態が続いていたのではないかと考えられる。しかし,ようやく戦国の統一の動きが始まり,破壊の時代から建設の時代へと移行して行く時期の信長,秀吉,家康に登用された大棟梁や,又各地方の棟梁達あるいは築城,寺院建築等,戦国の大工達が大いにその手腕をふるう時代となると,大鋸や台鉋の使用量は急速に増え,木工具類は急速な進歩を遂げたことと考えられる。
 又先の戦乱は製鉄技術をより進歩させる役割をはたした。そして1543年には種子島に鉄砲が伝えられている。(我国は,鉄砲が伝えられるや,それをまねて突用になる鉄砲を作るだけの鉄鋼冶金技術をもっていたのであり,その技術ほは長期間にわたる刀の製造によって得られた。)6)のである。こうして,この時期には木工具の刃物にも,そうとうのものが使われていたと考えられるのである。
イメージ 1 戦国の世の統一がなる秀吉の時代には木造建築として世界最大を誇る奈良東大寺大仏殿にもまさる巨大な方広寺大仏殿を京都東山に建てたり,緊楽第や伏見城の他,寺院の修理等,数多くの棟梁が参加して秀頼も社寺復興に力を入れるなど,多くの地方大工を取り入れるようになった。(京都を中心とする桃山建築界は,腕一本で評価され,実力ある大工にとってはこの上ない働きがいのある所となったのである。)7)
江戸時代に入ると徳川家の本処である江戸城を中心とする関東一円は社寺イメージ 2の造営等,多くの城の建築と相まって大建築ブームの時代となる。そして家光の時代の寛永の繁栄期には,現在の建設省に相当する作事方が成立し,慶長年間に秘伝書「匠明」を完成したところの平内政信等が活躍するのである。これ等の時代は江戸幕府の全盛期であり,日本の建築史においても名実共に全盛期を迎えたのであった。事実,寛永期には数寄屋造りの代表である桂離宮の今日の姿がイメージ 3ほぼ完成され,又それと対象的な日光東照宮が完成の域に達していた。その後の江戸時代後期は日本建築史において,全く忘れられたように遺産のない淋しい時代となる。このような時代背景からして,慶長,元和にかけて大工道具の品種も増え,改良が加えられて,寛永の黄金時代には台鉋においても,その形態,用法もすでに今日とほとんど変らないものになっていたと考えられるが、まだ一枚刃の台鉋であった。その後はこれと言った変化はなく,明治の後半になって今日の裏金のついた二枚刃鉋が発明される。この二枚刃鉋が発明される原因は定かでないが,この時期になると,西欧からオークの家具が入って来たりすることによって,それまで雑木といわれていた広葉樹が広く使用されるようになり,そのくせの悪い木材の「さか目」を防止することが,どうしても必要になったのではないかと考えられている。又幕末の頃には,我国に木工機械が入って来ており,明治時代には(丸鋸やプレーナー……角のみ盤も自動鉋盤もだいたい戦前にあったようなものはすべて当時はあった。)10)ということであるから,あるいはこの中の自動鉋盤の応用もあったのではないかと考えられる。周知のように機械鉋盤の刃に押えが付いていなかったならば,それこそバリバリに割れ散ってしまう。このことから考えて,当時の自動鉋盤には,押えが付いていたはずであり,それを誰かが台鉋に応用したのではないかと考えられる。
この問題に関しては(刃ロに鉋くずがたまった時に切削抵抗は増大するが,さか目が発生しないという事実を応用することによって発明された。)11)という説もある。ようするに鉋は,二枚刃鉋が発明されて始めて完全なものになることができたのであり,今日のように大工道具と言えば,鉋を思い出すほどの普及を遂げることができたがその完成期は江戸の後記か明治初期と長い歴史からみるとごく最近のことなのである

引用文献: 
6)桶谷繁堆「金属と人間の歴史」  141p 講談社
7)内藤昌 月刊「室内」昭和441月号~11月号
ll「戦国の大工達」
8)内藤昌 「新桂離宮論」 238239P一度島出板会
<)span lang="EN-US">9)内藤昌 月刊「室内」昭和441月号~11月号
face="MS Pゴシック">
 「戦国の大工達」
10)成田寿一郎 月刊「室内」昭和498月号
 人勃登上 ㊧「木工機械30年」
11)中村克明,中山喬 「さかめ防止に関しての理論と
 実際」県立岡山高梁南高等学校
12)村松貞次郎「大工道具の歴史」 75P 岩波新書
13)村松貞次郎「絵図大工百態」 19図 新建築社
14)村松貞次郎「絵図大工百態解説」17P 新建築社

参考文献:
1)八幡一郎「日本文化のあけぼの」 吉川弘文館
2)桶谷繁堆「金罵と人間の歴史」   講談社
3)中村雄三「図説日本木工具史」  新生社
4)小原二郎 「木の文化」    鹿島出版会
5)中村昌生 「茶匠と建築」   鹿島出版会
6)伊藤でいじ「日本の工匠」   鹿島出版会
7)大阪建設業協会「建築もののはじめ考」新建築社
8)      「建築学大系4」(日本建築史)
図は絵図大工百態(村松貞次郎監修)より鉛筆画写し
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三十二番職人歌合 15世紀


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三井寺本堂掲額 元禄2年(1689年)



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匠家必用記 宝暦6年(1756年) 


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朝鮮の鉋 1800年頃
大工道具の歴史より鉛筆画写し


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三芳野天神縁起 1624~1649年頃
川越市教育委員会社会教育課提供

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朝鮮の鉋 藤島亥治郎「造営用木工具の史的展望
より鉛筆画写し

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