鉋の話 5. 鉋刃の調整と裏出し

鉋の裏出しを語るには前に紹介した私の論文、鉋の原理ー道具と人間のかかわりについてーを引用しながら進めなければならない。しかし論文を読み返しているうちに、大川の時代を思い出した。当時昭和43年のこと、会社の社宅の2階に間借りさせていただき、同じ敷地内の寮生活の若い職人達にまじって私の職人生活がはじまった。卒業後1年と2ヶ月ほどだったがみっちりと修業させていただいた。今振り返ると、当時の大川はまだ、家具職人と呼ばれる本当の人たちが多く残っていた時代で、私のお世話になった会社は、中でもすぐれた職人さんたちが現役で働いていた。本当の職人といわれる人達は50才、60才、は若造と言われるくらいで、70才代が数人、80才を越える人もいた。若いものでは、当時まだ残っていた徒弟制度最中の15、6才の若者が二人と、徒弟上がりたての20歳なりたての若手とそのあと2、3年を過ぎた若者が3名に37才の工場長がいて、40代の若手職人が一人、腕のたつ職人さんがいた。工場の中はきちっと分業制度が残っており、荒木取りをする人、寸法に裁断する人、当時は尺棒というのがあって3面に寸法が記されており、それに基づいて加工する人がいた。そんななかに椅子を専門とする職人さんが一人いて、椅子張りの職人さが一人別棟に常駐していたのを覚えている。そのほか仕上げの後の金物を取り付ける専門(引退まもない人が担当)と塗装は別に専門がいた。私は若手にまじって最終組み立てを手伝った。デザイナーといわれる人もいたが主に図面を担当していた。1年近くなると仕上げ鉋も使えるようになって、当時話題になった福岡市に初めての高級ホテルの内装家具の仕事を手伝ったが、木部の仕上げ鉋をまかせられるくらいになっていた。残業の連続で社宅の2階の自分の部屋に戻るとそのまま踊り場で寝込んでしまうことがあった。話がそれてしまったが、鉋をかけるには荒仕上(シコ)、中仕上げ、上仕上げの3段階に分けて使用する。それぞれに対応する鉋があるが、木工機械の普及のために,荒仕工は100%手押鉋盤と自動送り鉋盤にたよっていた。(中仕工もはぶいて機械鉋から直接仕上げに入る場合もあった)このため,中仕工と上仕工の2段階になるが,幅30セソチ,長さ50セソチの板3枚を鉋がけするごとに1度の割合で刃研ぎをやらねばならない。長さ50セソチの45センチ角材だと普通の堅材で15本に1回の割合である。1日に200本削るとすると13回ほど刃研ぎをすることになる。2台の鉋を使うから26回ということである。当時このように実際に家具工場などでは普通に鉋を使用していても1年間に5センチは刃が減ってしまうのである。刃先が減るといっても簡単に使えば減って行くようなものではなく、その間に何べんとなく裏出しの作業を経なければならなかった。鉋の裏刃は普通2mm程度出してあるが(図5)それが減ってしまうイメージ 1と刃が切れなくなり,もう1度裏刃を出してやらねばならない。この作業を裏出しというのであるが、この作業は慎重さを必要とするもので、裏刃を敷金に密着さておいて切れ刃の地金の部分を刃先と平行にたたいて刃の先を裏側にそり返らせ、裏押しをして元の裏刃をそなえるのである。(図6)裏刃が2mmであるから刃が5センチ減るまでに約25回の裏出しを経ることになる。実際の作業の時に05mm程度は金剛砥石で減らしてしイメージ 2まうので約20回程度の裏出しをすることになる。〔裏押しは金剛砥石に金剛砂を少量乗せて、少し水を垂らして裏押して膨らんだ面を押しつぶすようにして真っ平にする作業のことをいう。)裏出しから次の裏出しの間に最も切れ味の良い時期があるが、それが糸面といわれるもので裏刃が0102mm程度になった時期である。裏出しから次の裏出しまでの日数を割出すと約18日であるから最も切れ味の良い糸面を得られる時期はそのうちの23日間しかない。こういうごくわずかな瞬間をめざして修業して行くのである。

以上のように当時のことを書き残しているが、そのころの仕事の量は現在では考えられないことである。しかしこの経験の積み重ねが刃研ぎの技術を向上させたことに間違いはなかったはずである。


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