「早良 こんな風景あったよね」の記事を見て!

1月16日のこと、朝日新聞に福岡市早良区の「早良 こんな風景あったよね」の記事をみた。小学校から大学進学で福岡を離れるまでを過ごした西新町と百道(ももち)地区、さっそくURLでアクセス、早良お宝写真今昔物語をのぞいてみた。サザエさん通りは本当の長谷川町子さんが住んでおられたお宅を知っている私からすると一筋東の道路なのだが記念碑が建ってしまっているのでしかたがない。百地海水浴場に樋井川、室見川など、藤崎の監獄所などなつかしいものばかり、自分にも写真があるかもしれないと思い起こしたがほとんど人物ばかりで、そのころの風景を撮っておくべきだったと後悔先に立たずである。一つ樋井川の写真がある。それは父が我々兄弟と友達が魚釣り遊びをしているところを後ろから撮ったもので、樋井川橋と海の中間地点、向かいにアパートの建築現場が映っている。たしか私が小学3年の頃だったと思う。
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以前、同じ新聞の記事でそのアパートが戦後の家族のために発案された公団住宅で、福岡に最初に建築された貴重なアパートだった(その後取り壊された)というのを知っておどろいたことがあった。昭和26年は私が小学3年、撮られた年代がはっきりする証拠写真ということになる。
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当時桶井川はまだきれいであった。向こうに建ったアパートの排水溝(丸く黒く見えるのが排水溝)から汚水が垂れ流されるようになっていったころから、上流にもそういう建物が並びだすにつれて濁りだした。最初の頃、土がヌメリ出すころからゴカイが採れていたが、やがてデコ(ゴカイよりたくましい生き物)に変わり、やがて土が黒ずんで行き、真っ黒なヘドロと悪臭に化していった。5歳の頃、福岡市に越してきたが、その頃の百道海岸は白砂青松、羽衣の天女が現れそうな一面砂浜で松原沿いに真っ白な海岸線がどこまでも続く海岸であった。まだ海水浴場の小屋も少なく地引網があっちこっちで、大かご4.5杯以上の収穫をほこっていた。海は真っ青どこまでも透き通って見えた。遠浅の海では干潮時に脚で砂を掘ると白いカガミ貝が採れた。台風の後には赤貝の貝殻が無数流されてきた。赤貝が生息する湾として有名だった。室見川河口では毛ガニが採れたし青藻が採れた、つくだ煮にして食べていた。その室見川の河口もやがて足の裏にヌメリを感じるようになり、ゴカイが採れ、カキが採れるようになっていった。カキが採れるようなきれいな海なんてとんでもない、百道の海はカキも採れない、ゴカイもいない想像できないほどの美しい海であった。忘れてもらいたくないのはそのようなかけがえのない自然を埋め立ててしまって今の百道地区があることを、当時垂れ流しで汚くなった海岸を埋め立ててしまって、いわば汚いものに蓋をしていまのきれいな環境をほこる百道地区が出来上がっているこを・・・。戦後の日本は政府をはじめ、復興の名のもと反省というものを忘れてしまったのではないか?と言うより、その暇もないスピードで復興をとげたが、取り残されたものや破壊されたものの犠牲の上にあるということ、中国の環境汚染を避難する前に己達のしてきたことも忘れないでほしいものである。
2015.01.16 こうへいのひとりごとより
 
早良区お宝写真今昔物語:

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