ウィンザーチェア物語  はじめに

はじめに
ウィンザーチェアのことについて語るまえに私がウィンザーチェアに興味を持ち始めたころのことからお話しなければなりません。そもそも私は最初は現代的椅子のデザインをめざしておりましたし学生たちにもそういったものを指導する立場にありました。しかし、いざ自宅で使っている家具を考えると、特に箱物家具はフラッシュ加工の軽量なもので、10年そこそこの寿命しかないことがわかっておりました。子子孫孫まで使えるような家具といいますと当時流行しておりました民芸家具を選ぶことになったのでした。その民芸家具の中にウィンザーチェアがあったのです。キッチン用のテーブルと椅子のセットをクレジットを利用して何か月もかけて支払った覚えがあります。それが私のウィンザーチェアとの出会いの出発だったと思い起こします。も一つウィンザーチェアに対する強烈な印象を受けたことがあります。同じころ当時デザインの登竜門として知られていた中央の公募展「新制作展」に出品するようになって、毎年東京に出かけるきっかけを得たのですが、ある時、当時新宿の小田急ハルクに家具売り場が開設され話題を呼んでおりました。そこでカンディハウスのリキウィンザーに出会うことになったのです。その時の印象を今でも鮮明に覚えております。当時デザインと言えば新規で奇抜なものばかりの中で、日本にこんな美しいすばらしいデザインをする人がいたのか!と思いデザイナーを見てみると渡辺力だったのです。 また1975年には池田三四郎の「民芸家具」が出版されます。この内容も私にとっては目から鱗が落ちる話で、それ以来なんとかして学生たちに、このウィンザーチェアを実習体験させなければと思うようになったのでした。当初はウィンザーチェアらしきものを自分なりに考案したシングルウィンザーチェアを教材として作ってみることから始めました。そのころまでは家具を作るのは男という風潮があり、私の研究室では工具や機械を使うこともあって危険だということで、女性は受け入れておりませんでした。しかしどうしても取らせて下さいという女性が現れるようになってきました。そこで研究室に初めて女性を受け入れるようにしたのが1980年のことでした。その一人にウィンザーチェアを卒業テーマにした女性が現れたのでした。そのためにウィンザーチェアに関する当時日本国内で集められるだけの参考資料をあつめ、実際のウィンザーチェアの実測調査に図面から原寸図の描き方までを指導しつつ制作まで、学生の情熱に付き合わされたおかげで研究室としては初めて新しいウィンザーチェアを完成させることができたのでした。
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1982年度卒業制作学生作品
その後、曲げ木をテーマにした卒業研究の指導をしたりしているうちに本格的にウィンザーチェアについて研究する必要性を感じるようになっていったのでした。ちょうどそのころ国外研修の機会が回って来たのでした。いつの日にかと考えていたものが目の前に現実のものとなって、とにかく英国を挙げて1991年、20日間の日程でイギリスを主にしてフランス、イタリアを訪れる機会をえることができたのです。以前このブログ「英国ウィンザーチェアの鉛筆画資料による解説 10.」で触れましたが、初めて訪れた歴史ある英国、不安と緊張感をいだいて訪れたヴィクトリア&アルバート・ミュージャム(V&A)で手にしたクリストファ・ギルバートの「イングリッシュ・バナキュラー・ファニチャー」はウィンザーチェアのような大衆の家具に焦点をあてた初めての出版物で、その後トーマス・クリスピンの「イングリッシュ・ウィンザーチェア」とバーナードコットンの「イングリッシュ・リージョナルチェア」は「ウィンザーチェアの形態分析研究」に取り組む上で貴重な文献となりました。これらは私が海外研修に訪れた1991年に集中して発刊されたもので、もしもっと以前であれば、それらの文献にめぐり会えてなかったかもしれません。もし、そうであったなら途方に暮れていたにちがいありません。特にクリストファ・ギルバートの「イングリッシュ・バナキュラー・ファニチャー」とトーマス・クリスピンの「イングリッシュ・ウィンザーチェア」は数多いV&Aの書籍コーナーの中から見つけ出したこと、それは奇跡的としか言いようのない出会いでした。その過程で18、19世紀にかけて作られた本当のウィンザーチェアがあったということ、それは現在我々が知っているウィンザーチェアとは思いもよらないほど違っていたことがわかったのでした。以来、今日までに文献研究と実測調査を重ねながら再現複製を続けてこれたのです。

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参照:
FDY家具デザイン研究所ホームページURL:
ウィンザーチェアとは:
 
 
 
 
 
 
 

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