英国ウィンザーチェアの鉛筆画資料による解説 14.ゴールドスミス・ウィンザーチェアのなぞについて

ゴールドスミス・ウィンザーチェアのなぞについて その2
(アメリカン・ウィンザーチェアがなぜゴールドスミス・チェアに似ているのか?)
 こういう話があるのです。ジャック・ヒル氏の「カントリーチェア・メーキング」(7ページ)のなかで書かれている「17世紀後半、王政復古後のジョイナー(指物師)とターナー(旋盤工)の間で論争があった。材料がオークからアッシュ(とねりこ)やビーチ(ブナ)に変わる時期にそれまでは指物師が組み立てる部品を旋盤工が作っていたが、指物師が自ら旋盤を使うものが現れると、独自に椅子を作る旋盤工が現れ始めた。」というのです。私はその旋盤工が作った椅子こそがゴールドスミス型ではなかったのか?詩人で劇作家であったゴールドスミス(1728-1774)が使用していたことから1750年から60年頃のものとされていますが、実は1708年以前に作られたものではなかったのか?おそらくその時代は王侯貴族が使うガーデンチェアとして作られていたためにダークグリーンに塗られ、テームズバリーに集結した旋盤工たちによって当時にしては数多く量産された初めての椅子ではなかったのか?と推測したのです。(私がV&Aミュージャムで身近にこの目で確かめ、その作り方から、1,2脚ではなく数多く作られていたに違いないのです。)たまたまゴールドスミスがその椅子を気に入って自分の家で愛用品として長く使っていたのではないかと想像されるのです。そうするとジョン・ピットとリチャード・ヘウトのコムバック・ウィンザーチェアは一品制作の椅子として作られていたもので、当時はまだウィンザーチェアとは呼ばれてなかったのではないか?(あるいはこれこそがウィンザーチェアにカブリオール脚を取り付けた一例であったのかもしれません)これは私の推測でしかありませんが、ウィンザーチェアはゴールドスミスチェアのように最初から分業で作られていたものでピットのように個人でつくるものではなかったのです。しかし後にそのシンプルで安っぽい形態をなんとかしようということでゴールドスミス型にカブリオール脚が取り付
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イメージ 1けられたり、笠木を装飾的にしたりすることでコムバック型のアーム・ボウ型チェアが現れたのではないか?そうするとゴールドスミスとアームボウ型コムバックが合体したものがキャプテン・クックの椅子ということになるのです。そのシートの形が後のウィンザーチェアの原型になっていったと考えられるのです。アメリカに渡ったウィンザーチェアが1725年にアメリカで生産が始められると、アメリカになじむためにいろんな装飾が付け加えられていくことでアメリカン型が生まれたのではないかという推論が成り立つのです。要するにアメリカに渡ったウィンザーチェアはゴールドスミスウィンザーチェアではなかったのか?つまりジョン・ジョンズの所有していたウィンザーチェアとはゴールドスミスウィンザーチェアそのものではなかったのかということになるのです。結論として、ゴールドスミス・チェアはウィンザーチェアの名前の由来になった、つまりウィンザーの方から来る安物の椅子と言われたそのものではないかということなのです。ジョン・ピットとリチャード・ヘウト上記ジョン・ピットとリチャード・ヘウトの椅子(1750年頃)の前脚はカブリオール(猫脚)となっています。その頃はチッペンデールが活躍しているころで、以前 にはカブリオール脚のウィンザーチェアは存在していません。また古いウィンザーチェア型の椅子がウィンザーチェアの原型として紹介されたり扱われたものがありますが、それらは個人によってウィンザーチェア風に作られたものであって、ウィンザーチェアは最初から分業システムによって量産されるものとして作られたものだったと言うことができるのです。 
2018.08.10 追記    2018.12.11  一部修正 
 
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ゴールドスミス・ウィンザチャー   アメリカン・ウィンザーチェア

アメリカンウィンザーチェアがゴールドスミスウィンザーチェアに似ているのはなぜか?私にとってそれは長い間疑問でした。以前には逆にアメリカから入ってきたのではないかと推論したこともありました。しかしその似ていることから、ゴールドスミスウィンザーチェアが17世紀後期から1708年ごろに作られたという証拠にもなるのです。つまり当時の形を残す最も古く、ただ1脚残った貴重なウィンザーチェアではないかということになるのです。 
                     赤は2017.05.09追記 
 ※この結論はあくまで私の個人的推論の域を脱していないかもしれません。
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