個性とは?

個性とは?に答えを出すのは難しい。そのためには戦後の民主教育の在り方までさかのぼって考えなければならないからです。戦前の教育が国家に忠誠を誓うことが中心で己を捨てて滅私奉公を良しとする教育が強制されすぎていたために戦後、その反動としての自由教育がもてはやされすぎるようになってしまいました。私は美術系でしたのでその方向からのアプローチに偏りすぎるかもしれませんが、一つ戦後の教育を振り返ってみたいと思います。
私が大学入学時(1960年代)の世間では自由創造教育の考えが主流で自由に描かせておけばその方が面白い絵になるということで面白い絵とかデザインの発想が重視されておりました。先生たちの作品に対する評価においても、「おもしろい」のことばがおどろくほど発せられていたのを記憶しています。したがって我々同級の学徒も教育実習などに於いてもいかに生徒におもしろく接するか自由にやらせるかが、今振り返ってみますと一種の教育方法にすり替えられていたと言えるかもしれません。
そういった中で団塊の世代が中心となる大学紛争が興ったのでした。最初は自由にやらせてやっているのだからわかってくれるだろうなんてたかをくくっていた教授たちが、どうにもならないほどひどい仕打ち受けるようになると、最後には実力行使しかなくなってしまったのでした。今ではあたりまえな考えとなりつつある規律や自己犠牲、鍛練なるものが否定され、自由平等なる風潮の中で育った団塊の世代に教育を受けた次の世代の美術教育で考えられる個性とは自分の人と違うところを出すことになるのですが、人は細胞やDNAでみれば99.99パーセント同じであってそんな強烈な違いなんてありようがないのです。むしろ同じものの中に人と違うものがあらわれるのが本当の個性なのであって、どんなに違うものが並んでも結局は同じようなものでしかないということが時間の経過の結果、現在はっきりとしてきたということでとらえるならば、団塊の世代の教育も無駄ではなかったという皮肉的な結末となるのです。戦前の精神主義的教育の中にも日本で育まれていた教育の基本的なものがあったのですが、戦後の右か左のどちらかで正当性を主張するやり方のなかでは、そこまで立ち入るゆとりなど有り様がありませんでした。個性を主張する前に同じものをくり返しくり返し作ってみる。先人の作ったものから学ぶ謙虚さが本当の個性を育むものだということをウィンザーチェアは教えてくれるのです。
           ”こうへいのひとりごと”  2014.06.24
 家具の分野にも彫刻を思わせるような個性を主張した作品が多く見られるようになりました。芸術であればそれで良しかもしれませんが、人様に使っていただく製品はそういうわけにはまいりません。最初から芸術をねらって芸術性豊かな家具を作ったからと言ってそれが芸術品だと誰がきめるのでしょう?職人が作る家具はもちろん芸術ではないかもしれませんが、長年愛用され、世代に受け継がれた家具は芸術性豊かなものとなります。いやむしろそちらの方が芸術ではないかと思うくらいです。それがウィンザーチェアが語るものなのです。
 ようするに、個性とは人と違う自分を出すのだけではなく、むしろ抑えても自ずとにじみ出るものなのです。しかし戦後個性を大事にする教育がもてはやされすぎたがために、逆にカッコウは派手になる一方で、みんな同じカッコウに見えてしまう無個性集団を生み出してしまったのではないか?これは世界的な傾向にもなっているようです。情報過多な現代社会の中でアイデンティティーつまり個としての存在をアピールするにはそうとう派手で人と違うものが求められます。一方でそういった人種が多数になりすぎるという自己矛盾に陥るのも目に見えていることですが、ひょっとしたら強烈な刺青(タトゥー)で他と区別していた原始時代に逆戻りしているのかも、人間性を失いたくないためのパフォーマンスが世界に広がっていくかもしれません。
2014.06.25 追記
 

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