かつては家具やあらゆる生活用品は職人によって作られていた。

かつて家具や生活用具のあらゆるものが、職人の技術を通して作られていました。19世紀産業革命後、生産現場に機械が導入され、大量生産が可能になるにつれて機械にその役割を取って代わられるようになり、現在ではコンピュータ制御による機械によって、職人の高度な技術はおおかた補われるほどまでになりました。職人の手をへることなくカッコウの良い家具が作れるようになりました。しかし人の手から離れたところで機械生産される製品には高品質なデザインが求められる一方で、人の手による技とか、感触というものから感じられる人間的な味わいというものが薄らいでいくのは当然のことかもしれません。
アーツ・アンド・クラフツのウィリアム・モリスが機械に反対を唱えたのは機械が未発達な時代に劣悪な製品のことでした。しかし今や機械はロボット化して人間に代わるほどのものになろうとしています。大量生産によってもたらされた高品質の家具が大量に生産されるようになった結果、有名デザイナーの名品までもが大量生産品と見間違えられるのではないか?それほど美しくスマートになった工業生産品、美しければ全て良しとされる昨今の美的評価では家具が自動車部品や家電を作るように作られて行くのを黙って見過ごすしかないのでしょうか?今では工房作家までもが機械で加工された機械的美を追求しようとしています。芸術性豊な生活の普及に努めてきたデザイナーの先達たちが求めたものがこういうものであったのか?それはそれで決して悪いことではありません。高級自動車に乗るようなものがあっても良いではありませんか。しかし一方で人間の人間の手による家具や住宅までもがなくなってしまいかねないことを心配するのは私だけであって欲しいものです。   2014.03.01   ”こうへいのひとりごと”
民芸の思想に用の美という言葉があります。民芸の思想家でもない私が言うのはおこがましいかもしれませんが、日常に使われる雑器を作る無名の職人の欲を捨てきった無心に作るものの中に見られる健康な美をいうのですが、これに対してできるだけコストをけずり職人の代わりに高度な機械を導入して作るすばらしいデザインのプロダクト製品に共通のいわば無心の美があるという見方もできなくはありません。しかしその無心の美はかつてその役割をしていた職人の心を無視した名のとおりの無心そのものの美ということになりかねません。そこに介在するデザイナーの役割は大きなものがあります。
2014.03.06 追記
 
 

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