職人をめざす若者に知ってもらいたい”きわめるということ”

2012年2月”こうへいのひとりごと”より
角棒を正確に作るには
鉋と材がなじむように削ると言ってもなかなかわかってもらえない。
ベテランには水平に削れているかいないかは感触でわかる。
鉋で水平垂直に削るには究極のところ、削ろうとして削れるものではない。一応鉋をかける以上削れることは削れるのであるが、正確に垂直水平にはならない。長い経験の中で体が覚えるものであって、この感覚感触を人に伝えることは不可能である。鉋を使って、そこまで経験してくれないかぎり伝えようがない。昔職人が弟子に厳しくあたっていたのはこういうことではないかと考えられる。早く自分の領域まで達してもらいたい、期待と願望がいりまじった複雑な想いであっただろう。そこまで達した者にしか伝えようがない。・・・・(一部省略)、私事で申し訳ないが、私と同じくらいに鉋を使い、鉋の調整をした経験の人にしか私の感覚感触は伝えようがないのである。これは決して自慢しているのではない。それほど極めるという世界は孤独な世界であるということである。   2012.02.08
 

角材は手押カンナ盤と自動送りカンナ盤、超仕上げ鉋で今では簡単に作れます。しかし、これを機械なしに鉋とノミと鋸で正確に作るとなれば、おそらく確実に10年以上かかるのではないだろうか?ノミにしてもしかり、日本の道具には極めたものにしか味わえない世界があるということ、しかしいつか必ず味わえる。10年やって極めることができてもその技術で次の極意が経験でき、また極めるものができる。際限がないかもしれませんが、これは機械を使っていては決して経験できないのです。そこにこそ機械とペーパーで仕上げたものと鉋やノミで仕上げたものとの違いがあるのですが、機械で仕上げたものにしか美を感じれない今の時代の人にはそぐわないかもしれません。しかしかつてつい4、50年前まではそういった時代があったことを日本人は忘れ去ろうとしています。次世代を担う職人を夢見る若者には特に知ってもらっておきたいことです。
2014.02.15 こうへいのひとりごと

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